恋愛トラブル対策課

別れた相手の入退館履歴を、街は知っている。
そのことが住民の間で噂になり始めたのは、独身棟で起きたストーカー騒ぎがきっかけだった。元恋人の食堂利用時間に合わせて、毎日同じ席で待ち伏せしていた住民が、街管理局の「恋愛トラブル対策課」によって、わずか三日で退去処分になっていた。
被害者は救われた。加害者は街の外に出された。問題は、その判断材料だった。
「監視カメラと入退館履歴を、別れの後にも参照したんですよね」
カイは管理局の四階で、課長の有島と向かい合っていた。彼が住民代表として呼ばれたわけではない。ただ、葵から「住民の感覚を聞きたいから来てほしい」と頼まれて、ついてきただけだった。
「参照しました」と有島は静かに認めた。四十代の女性で、口元の動きが少ない。「同意は、入居時の規約に含まれています。法的には問題ありません」
「法的には」とカイは繰り返した。
「法的には、と私が二度言ったとき、現場が苦しんでいると思ってください」
カイは顔を上げた。有島は、自分の机の上の三本の蛍光ペンを、丁寧に整列し直していた。
「安全な街には、誰かの自由を少し削る面があります」と彼女は続けた。「誰かが守られたぶん、誰かのプライバシーが薄くなる。そのバランスを、毎日この部屋で引き直しています。引き直し方を、住民にいつ説明するかも、含めて」
カイは、廊下に出てから長いあいだ、エレベーターの前で立っていた。隣にいたユイが、最初に口を開いた。
「私が設計したのは、街の動線だけです」と彼女は呟いた。「誰のプライバシーをどこまで使うかは、私の論文には書かれていません」
「書かれていない場所で、誰かが毎日決めているんですね」
「そう。書かれていない場所で、有島さんみたいな人が、引き直してくれている」
エレベーターの扉が開いた。二人は、無言で乗った。下降する数字を見ながら、カイは初めて、この街が「設計図」だけで動いていないことに気づいた。