第05話
記憶

翌週、二人は同じカフェの同じ席で向かい合った。玲子は「美咲」のままだった。
女は紅茶のカップを両手で包み、ぽつぽつと自分のことを話した。
「わたし、二年前に大きな事故にあって、半年くらい記憶がぼんやりしてるの。気がついたら病室で、夫が泣いてた。生きててくれてありがとうって」
玲子は黙って聞いていた。胸の奥でメモが走り出すのが分かる。
「子供の頃、海の近くに住んでて。父はもう亡くなってて、母とは少しだけ仲が悪くて。社会人になって、広告の仕事をしようと思ってたんだけど、結婚して辞めちゃった」
ひとつ違う。玲子は広告の仕事を辞めていない。今もブランド戦略のチームで生きている。
「夫はね、優しいんです。少し過保護だけど。わたしのこと、毎朝『大事な大事な玲子』って呼んでくれる」
玲子は微笑みを保ったまま、カップに口をつけた。
拓也は玲子のことを「大事な玲子」などと呼んだことは一度もない。あれは、玲子が事故で意識を失っていた半年間、毎日病室で囁かれていた言葉だった。半年後に目覚めた本物の玲子は、それを覚えていない。
つまり、目の前の女は、玲子が眠っていた半年間に作られた「玲子」だ。
玲子は静かに席を立った。
「ごめんなさい、また来週。もう少し、あなたの話、聞かせて」
女は嬉しそうに頷いた。
「わたし、最近、あなたに会えるのが、いちばんの楽しみです」