第03話
尾行

翌週の土曜、玲子はキャップとマスクで顔を隠し、駅前から夫の背中を追った。電車を二駅、バスを一本。普段の生活圏を綺麗に外したルートだった。
夫が降りた小さな町は、川沿いに古い喫茶店の並ぶ静かな場所だった。彼は迷うこともなく、白い壁のカフェに入っていく。
玲子は通りの向かい側、本屋の店先からガラス越しに店内を覗いた。窓際の席で、女が小さく手を振っていた。
その瞬間、玲子は息を止めた。
自分の顔が、そこで笑っていた。
ベージュのワンピース、パールピンクの爪。見たこともない柔らかさで、夫の差し出すアイスクリームのスプーンを受け取っている。声は聞こえない。でも、口の動きで、玲子はそれを読み取ってしまった。
——ありがとう、拓くん。
玲子は背中を本屋の本棚に押しつけた。膝が一瞬だけ緩む。それでも涙は出なかった。代わりに、頭の奥のメモは、もう走り書きを始めていた。
呼び方が違う。私はあの人を「拓くん」と呼んだことがない。
それから、もう一つ。あの女は、私が事故の前に好きだった服を着ている。あの事故のあと、二度と着なくなった、あの色。
玲子は静かに踵を返し、本屋を出た。次に何をするかは、もう決まっていた。